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9月25日に発売になった『シュタイナー思想とヌーソロジー』

かなりお値段もしますし、分厚いのですが、ヌーソロジーファンの方には「今読んでますよ」って方も多いかと思います。 

私もその一人で、 昨日第1部の福田秀樹さんのパート、「シュタイナーの世界観と人類の未来」を読み終えたところです。

そこで、今日はこの『シュタイナー思想とヌーソロジー』の第1部の福田さんのパートについて考えたことを書いてみたいと思います。

目次:シュタイナーは難解?
   シュタイナーの宇宙論とヌーソロジーの共通点
   シュタイナーの宇宙周期と自我の発達過程
   アルファベットと日本語
   「霊的受胎」=「顕在化」ではない
   「善」が最高の価値か
   「善」と輪廻転生
   まとめ 


シュタイナーは難解?


よく「シュタイナーは難解」というウワサを聞きます。

それは、シュタイナーが読み手の霊的成長を促すために意図的にそうしているということなのですが、逆にそれで途中で挫折してしまう人も多いと思います。

でも、福田さんはシュタイナーの本を大量に何回も繰り返し読まれた上で、ご自分で整理したものを、本当にわかりやすくまとめてくださっています。

これは膨大な時間とエネルギーを費やした上で、完成された内容なのではないかと思います。そのようなものを読ませて頂けるのはとても幸せなことと思わなければいけないですね。

私はシュタイナーをきちんと読むのは初めてなのですが、途中でつっかえることもなく最後まで読めました。特にヌーソロジストの方は比較的楽に読めるのではないかと思います。

なので、「難しそう」と思って躊躇している方には安心していただきたいです。(まだ第一部の福田さんのパートしかきちんと読んでませんが……)。


シュタイナーの宇宙論とヌーソロジーの共通点


では、内容についての感想に入ります。

まず、シュタイナーの宇宙論についてです。

私が最初に感じたのは、「基本的な構造はヌーソロジーと同じだな」ということです。

第一に、シュタイナーの宇宙論は「部分は全体に、全体は部分に」というホログラム的構造をしています。これはヌーソロジーも同じです。

そして、第2に、「反転」という概念を使用していること。

「高次宇宙とは、我々の目の前の時空がひっくり返るような形」で存在しているのです。そして、「我々から見れば非常に微小な空間に、時空一体の高次空間が畳み込まれるような形」で存在している。更に、その反転した空間においては、「生命活動や魂の源となる働き」も存在しているのです。(p.50)

どうでしょうか。これだけ見たら、ヌーソロジーの半田さんが書いた文章だと言ってもわからないくらい、同じことが書かれています。


シュタイナーの宇宙周期と自我の発達過程


そして、ヌーソロジーも、シュタイナーも宇宙には周期があるとしています。

ヌーソロジーでは、人間の自我の世界である「調整期」が6500年、自我を超えた変換人の世界である「覚醒期」が6500年あって、それを2回繰り返すことで1つの周期と考えます。現在は第7太陽周期です。

シュタイナーでは、(1)土星紀(2)太陽紀(3)月紀(4)地球紀(5)木星紀(6)金星紀(7)ウルカヌス紀という壮大な7つの周期があり、現在は地球紀であるとしています。

現在が何番目かなど、細かい部分は違いますが、基本的な考え方はとても似ています。

私が、シュタイナーの宇宙論でなるほどと思ったのは、この土星紀からウルカヌス紀という流れが、そのまま自我の発達過程とも関係しているように見えることです。

福田さんによれば、土星紀は物質体の付与が行われ、太陽紀はエーテル体の付与、月紀はアストラル体の付与、地球紀は自我の付与と形成が行われるとなっています。

これは、個人の自我の発達と照らし合わせれば、土星紀は胎児期=肉体の形成、太陽紀は乳幼児期=エーテル体の形成、月紀は児童期=アストラル体の形成、地球紀は13〜14歳からの自我の形成される思春期に当てはめることができます。

ヌーソロジーで言えば、胎児期はΨ1〜8、乳幼児期はΨ10、児童期はΨ9、思春期はΨ12、11です。

ヌーソロジーでは、それぞれの宇宙が何を目的に動いていたかなどは明らかにはなっていませんが、宇宙もホログラム的構造で出来ているとするならば、もしかしたら、宇宙の周期にもそういう流れがあるのかもしれないと感じています。


アルファベットと日本語


シュタイナーは、霊視・霊聴によって解読される、宇宙の創造の意図などを記述している宇宙文字というものがあるとしています。

そして、古代ユダヤのヘブライ文字から生じた「アルファベット」が、その「もともと霊的宇宙において地上世界を記述するための宇宙文字だった」というのです。

でも、ヌーソロジーではというか、オコツト情報では、宇宙で最初にできた言語は「日本語」であるとしています。

でも、現在の第7番目の宇宙を象徴する民族はユダヤ人なんです。そういう意味では、今の宇宙文字は「アルファベット」と考えることもできますが……シュタイナーはそういう意味では言ってないような気がします。

オコツトは日本人の半田さんに下りてきて、日本語でコミュニケーションする意識体だし、シュタイナーはアルファベットを使うオーストリア人ですから仕方ないといえば仕方ないですが、この違いはなんなんだろうなと思ってしまいました。


「霊的受胎」=「顕在化」ではない


シュタイナーは、今の人間の大部分は、低次自我、つまりこのブログでもいつも使っている、一般的にどの人間も持っている「自我」の状態ですが、本来は高次自我、つまり、低次自我を超えた「自他一体」の境地を目指すべき存在だと言います。

それは、このブログでも、ヌーソロジーでもいつも言っていることで、共通しています。

そして、その高次自我が芽生えることを「霊的受胎」と呼んでいます。福田さんは、「霊的受胎」とはヌーソロジーでいう「顕在化」と同じことであるとおっしゃいます。

しかし、気になるのは次の文章です。
高次自我と低次自我の分離が生じて来た状態において、低次自我が制御できなければ、高次自我を通じた霊的認識が可能となってくる一方で、猜疑心や嫉妬心など、低次自我の悪しき性癖がストレートに出てくるという状況が生じうるのです。(p.104)
つまり、高次自我が芽生えたとしても、低次自我の悪しき性癖が出現し得ると言っているのです。

ヌーソロジーでの「顕在化」とは、素粒子構造を自他の構造として見出すことで、感覚から「自他一体」「即自」の境地に至ることです。

ヌーソロジーでは、「顕在化」が起これば、自我の利己的な、ネガティブな部分は生じようがないのです。

逆に言えば、低次自我のネガティブな側面が出ている段階では、「顕在化」は起こり得ないということができます。「ヌーソロジー理解の両輪」「人間は3つのメガネをしている」にも書いた通りです。

ということは、シュタイナーの「霊的受胎」とヌーソロジーの「顕在化」は別の概念ということになります。

もちろん、ヌーソロジーで言う、自我を超えたレベルの「変換人」も、人間としての自我と「自他一体」の境地の意識の両方を持っているとされています。

ただ、ここで言う「人間としての自我」とは、個の意識、「器」としての「自我」であって、「猜疑心」や「嫉妬心」、親子関係や社会の影響でできた信念やエニアグラムの欲求・不安からは解放された「自我」なんです。3つのメガネで言えば、最後の「青色メガネ」です。

「赤色メガネ」と「黄色メガネ」に無意識にコントロールされている状態では、「顕在化」は起こりません。


「善」が最高の価値か


もう一つ、ヌーソロジーとシュタイナーの違いとして気になった点は、「善」を最高の価値と捉えているところです。

シュタイナーは、自我を超えた高次の3つの霊的身体をマナス・ブッディ・アートマと呼び、マナスは思考=真、ブッディは感情=美、アートマは意志=善に対応しています。

先ほど挙げた宇宙論でも、地球紀(自我を形成)の次の木星紀はマナスを形成し、金星紀ではブッディ、ウルカヌス紀ではアートマを形成するとされています。

自我の発達も同じように進み、最後に身につける最も霊的に高い段階がアートマで、アートマの「意志」によって、「善」が生まれ、そこから「真」が生まれるとされています。

つまり、最も重要で根本的な価値が「善」であるということになります。

私はこの福田さんのパートを読み終えて、シュタイナーの最終目標は「人間としての完成」「霊能の完成」ということのような感じがしました。

そうであるならば、やはり「善」というところに行き着くのもわかると思いました。

そもそも「善」という概念は、自己と他者、そして言葉があって初めて成立する概念です。美は観察者がいれば、言葉がなくても成立します。真は観察者と言葉があれば成立します。

この「観察者」は1人なので、胎児期の母子一体となった意識のようなものです。それに対して、「善」という概念を成立させるには、明確な自我と他者が必要です。

このブログで、いつも言っている「男根期」の意識状態です(「ヌーソロジーと男根期」)。

男根期では、エニアグラムタイプ1・2・6が作られます。それは「善悪」や「〜すべき」という超自我的な概念をベースにしたものです。

もしかしたら、シュタイナーはエニアグラムタイプ1なのかもしれません(^^)。

この真善美の話は、第2部の鼎談(p.723~)でも話題になっています。

ここで、半田さんは「「美」が土台に来ることが望ましい」「「善」と聞くと、どうしても超自我的な圧迫感を感じてしまい、息苦しくなって仕方ない」とも言っています。

半田さんは、このブログでもお話ししたようにタイプ4w5なので、「美」を最も重要視するのは当然のことです。そして、タイプ4は超自我的なものに縛られるのが嫌いです。

私はタイプ5w4なので、真善美で言ったら、「真」ですが(^^)。


「善」と輪廻転生


また、この本で大きなテーマの一つになっているのが「輪廻転生」についてです。

シュタイナーは輪廻はあるとしていますが、ヌーソロジーでは個人の輪廻はないとしています。

シュタイナーが「善」を最も重要視しているならば、これは決して譲れないテーマなんです。

なぜなら、先ほどお話ししたように、「善」は明確な「自我」と他者がいなければ成立しない概念だからです。

逆にヌーソロジーが目指しているのは、私が直感的に思うのは「純化」みたいなものでしょうか。いらないものを全て削ぎ落としていくようなイメージです。

その場合、自我、「自己独立性」というのは必ずしも必要ではないのです。

私個人としては、輪廻はあってほしいかなとは思いますが(^^)。


まとめ


ということで、シュタイナーとヌーソロジーは共通点もたくさんあるけれど、違うところもあるということです。

まずは先入観なしでどちらも読んでみて、あとは自分の判断で「いいとこ取り」をして、自分なりの宇宙観を作っていけたらいいのではないかと思います

でも、とにかく、この本一冊読めば、自分のいる宇宙について、そして自分の「自我」について、頭の中で描像するための材料が増えることは間違いないです。

迷われている方は是非、挑戦してみてくださいね。