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前回までで、大まかな自我の発達のシステムと口唇期の世界、そしてエニアグラムタイプ4・5・9についてのお話をすることができました。

フロイトの心理性的発達理論の乳幼児期の3段階の残りは、肛門期(1歳半〜3・4歳)と男根期(3・4歳から6歳くらい)です。エニアグラムはこの3段階で形成されると私は考えています。

今日は、口唇期と同様、ウィルバーの理論から肛門期・男根期の世界を見て、そこからどのようにそれぞれのエニアグラムタイプが生じてくるのかをお話してみようと思います。

目次:肛門期の世界 
   男根期の世界
   ドン・リチャード・リソの肛門期・男根期解釈
   肛門期とエニアグラムタイプ3・7・8
   男根期とエニアグラムタイプ1・2・6 
   まとめ 



肛門期の世界


口唇期では、赤ちゃんは「自分」と「自分じゃないもの」という曖昧な2つものでできた世界に生きていました。自分は「感覚の総合体」のような形のないものでした。

ウィルバーによると、肛門期(ウィルバーの用語では「身体自我」「テュポーン」)は、自分が「身体」であるということがわかるようになる段階です。子供は「身体」に同一化します。自分=「身体」であると考えるようになるのです。

そして、母親父親などの他の人々もそれぞれ「身体」と認識されるようになります。空間の中に、それぞれの「身体」があるという世界です。

赤ちゃんは、口唇期では「母親・世界との一体感」を得ることを究極の目的としていましたが、肛門期の子供では、それが「両親や周囲の人々から褒められること」、つまり、その世界で自分が注目を浴び、最も優れた存在であるという状態を目指すことになります。「英雄願望」です。

この2歳前後の時期は、よく「イヤイヤ期」とも言われますよね。なんでも「自分でやる」といって聞かなくなります。これも自分が何でもできる優れた存在であると示したいという欲求や、自分がその場を支配したい、注目を集めたいという欲求から来ているのだと思います。

つまり、肛門期の子供は「世界の中心でいたい」という欲求と「世界の中心でいられない」恐怖の間で揺れ動きながら、生きているということになります。


男根期の世界


口唇期の自分は「曖昧な感覚の総合体のようなもの」、肛門期は「身体」でした。

それが男根期(ウィルバーの用語では「初期心的自我」)になると、今度は概念的な「こころ」に同一化するようになります。これはちょうど、言葉が達者になってくる頃だからです。3歳では3語文(「ママ、お腹、空いた」)が話せるようになり、概念のつながりを理解して組み立てることができるようになるのです。

つまり、男根期では、言葉による概念世界が子どもの世界となります。

当然、他者も「こころ」の存在と認識されます。そこで、両親や周囲の大人たちに共通した「善悪」の概念があることに気づきます。それに沿うことで子供は認められます。

男根期では、この周囲の共通した善悪概念に沿った行動をすることで認められることが、子供の最も重要な目的になります。

つまり、男根期の子供は「善悪の概念に沿って認められたい」欲求と「認められない」恐怖の間で揺れ動きながら生きているということです。


ドン・リチャード・リソの肛門期・男根期解釈


私は、肛門期にはタイプ3・7・8、男根期にはタイプ1・2・6が形成されると考えています。

それは、タイプ3・7・8は「身体自我」の世界での「優劣」「英雄願望」がキー概念になっているタイプで、タイプ1・2・6は複数の人の客観的善悪の概念の世界で、こころとしての自分が善か悪かということがキー概念になっているからです。

しかし、ドン・リチャード・リソは、肛門期にはタイプ1・2・6、男根期にはタイプ3・7・8を関連付けています(「性格のタイプ」より)。それはおそらく、フロイトの「肛門性格」「男根性格」の概念によるのだと思います。

「肛門性格」は次のように定義されています。

その人の性の発達の主要な体制が肛門愛にとどまる場合には、糞便に象徴される汚いもの、混乱させるもの、身体に属してはいけないもの、に対する興味を反動形成によって防御して、清潔好き、几帳面などといった性格を作り上げるか、あるいはそれらの衝動をおさめて昇華し、糞便=金という象徴的な価値に基づいて社会的な仮面を被り、お金を溜め込んで放さないような極度な倹約家になるか、という性格の形成が予想される。(「心理臨床大事典」より)

つまり、「肛門性格」とは几帳面や倹約家、わがまま、清潔好きなどと言われ、強迫性人格障害にも関連付けられています。強迫性人格障害の患者さんはある一定のルールで自分を縛ってしまいます。

エニアグラムを知っている方ならご存知だと思いますが、これらの特徴はエニアグラムタイプ1と類似します。したがって、リソはこれらのフロイトの記述から、肛門期をタイプ1・2・6と関連付けたのだと思います。

そして、「男根性格」は自己愛的で、

「自己確信的で傲慢なことが多く、弾力的で活発、精神旺盛で強い印象を与える」(「心理臨床大事典」より)

とされています。

この記述もタイプ3・7・8的なので、リソは男根期にタイプ3・7・8を当てたのでしょう。

しかし、以上のウィルバーの理論では、肛門期は「英雄願望」、男根期は「概念世界」「善悪」というキーワードが出てきて、まるっきり正反対です。

フロイト自身も「超自我」(「〜すべき」、善悪の概念を司る心的機能)は男根期に形成されると言っています。

「超自我」が男根期に形成されるのに、その手前の肛門期に善悪の概念が生まれるでしょうか。

私はそうは思いませんし、肛門性格もよく読むと善悪とは少し違う概念です。また、タイプ1は説明できたとしても、リソはタイプ2、タイプ6がどのように形成されるのかは書いていません。

タイプ2は「人の役に立ちたい」「いい人と思われたい」というタイプですが、「善悪」の概念、超自我を基盤にして形成されています。これを言葉を自由に操る前の肛門期に当てはめるのは、やはり無理があると私は思っています。

ラカンで言えば、身体自我は「鏡像段階」によって得られるもので、超自我が生じる以前は「想像界」生じた後は「象徴界」と言えます。

想像界は簡単に言えば「イメージの世界」、象徴界は「言語的概念の世界」ですが、これを当てはめても、やはり、肛門期は3・7・8、男根期は1・2・6とした方がしっくりきます。3・7・8はイメージの中での自分の優位を追求し、1・2・6は善悪の概念によって認められることを追求するからです。


肛門期とタイプ3・7・8


ということで、私は肛門期にはタイプ3・7・8が形成されると考えています。

自分の「身体」と他者の「身体」の世界の中で、「世界の中心でいたい」「注目を浴びたい」「優れた存在でいたい」という願望を満たそうとしたけれども満たされなかったという経験から、タイプ8が生まれます。具体的には、努力をしたけどあまり褒められなかったという経験です。

世界は「自分を世界の中心として扱わない」もの、自分は「世界の中心になれない」ものと認識されます。

これが、口唇期のタイプ4・5・9のように、自分と世界イメージとして蓄積され、13〜14歳頃になってさまざまな感情や欲求・不安として湧き上がってきます。

そこでタイプ8は「世界の中心にならなければならない」=「世界を支配しなければならない」「自分が優位に立たなければならない」となるのです。
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次に、「世界の中心でいられない恐怖」がベースになっているのがタイプ7です。具体的には「褒められない」「注目されない」という経験です。その恐怖は、成長後は「孤独」という形で現れます。孤独が恐いので、自分が常にワクワクしたり、楽しい状態でいることを求めるのです。そして孤独から逃れるために周囲を笑わせたりします。

でも、タイプ7は複雑で、単純に1人きりがイヤというのではないのです。その「孤独」は他者よりも自分の感情がメインで引き起こされるものです。本当に些細なきっかけで他者の悪意や自分と違う点などを見てしまうと、非常に落ち込んで引きこもるというところがあります。

私もよくはわかっていないのですが、それがタイプ7には「孤独」を感じさせるのだと思います。あくまで自分基準なのです。

そして、この「英雄願望」が満たされる経験をベースにしているのがタイプ3です。

自分は常に人よりも優れているという無意識の信念があります。成長後は、その優れているというイメージを保つことが最も重要なこととなります。そして、その優劣の基準は自分の中にあるのではなく、社会の基準です。肛門期に「英雄願望」を満たしてくれたのは他者(母親等)だからです。


男根期とタイプ1・2・6


そして、男根期にはタイプ1・2・6が形成されます。

男根期は概念の世界です。タイプ1・2・6は、善悪の概念、「超自我」が元になって形成されます。

タイプ2は、「善悪の概念に沿うことで認められようとしたけど認められない」という経験がベースになっています。タイプ8と同様、努力はしたけどあまり「いい子」と言われなかったということなのではないかと思います。成長後、タイプ2は他者から「いい人」と思われるように行動します。この時の「いい人」の概念は社会での常識、社会的基準です。

タイプ1は「善悪の概念によって認められない」という恐怖をベースにしています。「善だと認めない世界」と「認められない自分」イメージが出来上がります。これは「親から叱られる」という経験がメインなのではないかと思っています。タイプ1はこれによって「正しくありたい」「きちっとしたい」「白黒はっきりつけたい」となるわけですが、この基準はあくまで自分です。自分の中での善悪にこだわります。

そして、タイプ6は「善悪の概念に沿うことで認められた」経験がベースになって形成されています。

タイプ6は「人に好かれたい」という欲求、「嫌われたらどうしよう」という不安が強く、自分よりも相手を優先したりして優しい雰囲気を持っています。

タイプ3・6・9系を私は「満足系」と呼んでいるのですが、この中でタイプ6だけが少し特殊です。「世界に願望を満たされた自分イメージ」を維持しようとしているということは、3と9と同じなのですが、3・9に比べると少し自信なさげに見えます。

私はこれは男根期の性質に原因があると思っています。

男根期の世界は「複数の他者の共通概念によって認められること」を最も重要視します。それはある意味、権威です。「権威と自分」という世界なんですよね。

タイプ9は「飲み込む」「一体化する」、タイプ3は「自分が世界の中心」「優位に立つ」のように、自分が世界と同等か上に立っています。でも、男根期はたとえ認められたとしても、あくまでそれは権威と自分の世界の出来事であって、常に自分は権威よりも下の位置にあるのです。

タイプ6は権威に認められてはいるけれども、「権威とそれに従う自分」という世界観なんです。だから、タイプ6はタイプ3や9に比べると自分を下に置きがちということになります。

そのような世界で、タイプ6は「権威に好かれる自分」を維持しようとするわけです。


まとめ


これまでの口唇期、肛門期、男根期をまとめると以下のようになります。

口唇期は、「自分」と「自分じゃないもの」の世界で、飲み込みたい欲求と、飲み込まれる恐怖のせめぎ合いの世界。

肛門期は、自分の「身体」と他者の「身体」の世界で、世界の中心でいたい欲求と中心でいられない恐怖のせめぎ合いの世界。

男根期は、概念的な「こころ」の世界で、善悪の概念に認められたい欲求と認められない恐怖のせめぎ合いの世界。

エニアグラムタイプ4・5・9と3・7・8と1・2・6はそれぞれこのような世界を通して、今の現実世界を認知しています。

これがわかってくると、本当に人ってそれぞれ違う世界に生きているんだなということが実感できます。


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