みなさん、はじめまして。

春井星乃と申します。

お茶の水女子大学大学院博士前期過程を修了後、臨床心理士資格を取得し、東京都心の精神科クリニックで働いていました。少しだけ、東京都スクールカウンセラーとして高校生と関わっていた時もあります。

今は結婚して福岡で夫と2人暮らしです。

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私は中学生の頃から
人間の性格に興味がありました。人って本当に十人十色ですよね。中には自分と違いすぎて「この人は本当に同じ人間なの?」と思ってしまう人もいます。

それがただちょっと知っているという程度の知り合いならいいのですが、
自分の大切な人や家族だったら……。人と分かり合いたいのに分かり合えないのはやっぱり悲しいですね。

だから、どうしてそんな違いが出てくるのか、どうしたら人は分かり合えるのか、私はそれをすごく知りたかったんです。そして、科学では答えられない「人間とは……世界とは一体何なのか」と言う究極の問いに心を惹かれていました。

ここでエニアグラムに詳しい方はピンと来てますよね。
私はエニアグラムではタイプ5のサブタイプ4(5w4)です。わからない方はごめんなさい。

これからこのブログで詳しくお話ししていきます。


その後大学で4年間子供の遊戯療法を学び、大学院に入って研究者を目指していたのですが、アカデミズムの限界を思い知らされて、臨床の道に進むことになりました。


どうして研究者の道を進まなかったのか……


みなさんはフロイト、ユング、ラカンって聞いたことありますか?19世紀から20世紀にかけて活躍した精神科医で、精神分析という学問を広めた人たちです。
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この方が精神分析の創始者、オーストリアの精神科医ジグムント・フロイトさん。
「自我、超自我、イド」とか、無意識の「抑圧」とか、聞いたことあるって方もいらっしゃるでしょう。私はこのフロイト、その弟子ユング、ラカンの延長線上のような研究がしたかったんです


つまり、人間の心理構造の研究です。
人間の自我がどのように形成されて、どのように発達していくのかという研究です。

でも、今の心理学ではそういう研究はしないことになってるんです。「なんでなの?!」ってきっと皆さんびっくりしますよね。フロイト、ユングを知っている方なら、心理学では当然そういう研究をしているものと思われるでしょう。

臨床心理学ではフロイト派ユング派っていう方達がいて、それぞれ個々の事例研究をメインにやられています。でも、心理構造全体の研究というのはないのです。

私の当時の指導教官には「そんな研究はあなたのような小娘にやれるもんじゃない。60歳超えて〇〇全集みたいな著作として出すようなものよ」と言われました。

でも、先生の言う通りなんです。 心理学って、知らない人は「勉強すると人の心読めるようになるんでしょ~」なんて思ってる方もいらっしゃるようですが、そんな学問ではないんです。

あくまで科学であって、質問紙法や観察法、実験などを通して結果を出すもの
なんです。

論文の形式も理系と同じです。

 

だから性格の研究と言っても、質問紙を使って出た数値を統計的に処理をして、外向性・協調性などの性格を表す幾つかの項目を割り出すとか、例えば「自尊心と母親の態度の関係」を見るとか、どうしても2つか3つの要素を取り出してきて研究するというような、一面的な研究にならざるを得ないんです。

 

 それを積み重ねていけばいいのかもしれないんですが、私には重箱の隅をつつくような研究ばっかりに見えて、どうしてもそれを何十年も続けていくようなモチベーションが湧かなかったんです。心理学界ではユングさえオカルト的な扱いですし。

 

 私が他大学院の教育学部のユングの授業を受けに行こうとしたら、さっきとは違う教授にですが、

「星乃さん、ユングに染まらないでね」って言われました。



なんで、心理学ってそういう風になってしまったんでしょう?
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これはやっぱり、世界的な思想の流行の変化も影響しているんだと思います。
ちょっと難しくなっちゃいますが……
つまり伝統的な哲学から構造主義、そしてポストモダンへの変化です。
 

精神分析は、1960年代頃からフランスを中心に流行った構造主義という思想のもとになってるのですが、構造主義はいろいろなプロセスを経て、人間にとって共通の無意識の構造を追求するものへと向かっていったんですね。つまり一つの正解を求めてみんなが研究をするという。

 

 でもその後1970年代頃から、「無意識の構造は言語の構造によって規定されるものだ」という英米系の言語哲学の考え方が広がったんです。そうすると、違う言語を使う人ではその人が感じる現実も何が真実なのかも違うということになりますよね。

 

すると、一つの正解というものはなくて、全てを尊重し相対的な見方をしなければならないということになるんです。それがポストモダンの主流の考え方です。なんか個人を尊重してくれているようでいいことのような気もするけど、ちょっと面白くないと思いませんか?


 さっきも言ったように伝統的な哲学はたった一つの真実があるという前提に基づくものなので、そこで「俺が正しい」「いや私よ」といろんな争いが生まれます。宗教的な争いなんてその最たるものですよね。

それが行き着いたところが先の戦争だったという認識が特に西洋では強いらしく、構造主義以降の思想の流れが生まれたみたいです。真実は一つって決めつけるのは良くないって。特に文系では物理とかと違って真実の証拠なんて出せないじゃないかって。

そりゃそうなんだけど……

 それから1980年頃からアメリカの精神医学界が作ったDSMという精神病理の診断基準項目が広く使われるようになって、


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精神病理を精神構造の仕組みから見るのではなく、気力の減退や不眠など表面的な症状によって診断するようになってしまったということも関係しているかもしれません。治療法も精神分析ではなく薬物治療がメインになってしまいましたし。

症状を聞いて、「じゃ、はいコレ」と薬を渡すだけ……
そんな治療は本当の治療とは言えないんじゃないかと私は思っています。 

つまり、心理学にとって、人間の心は形を決めずいろんな可能性を秘めたものとして扱われる一方で、研究対象としては目に見える表面的なものだけが扱われていくようになったということです。


科学的見方って今は常識人の基本みたいになってるけど、どうなんでしょう。人間の自我の基盤を作るには必要なものだけれども、それ以上に進むためには壁のような存在になっているんじゃないでしょうか。今はいろんなことが限界にきている時代になってると思うのですが。

 そういう感じで、心理学界で研究を続けるのはやめて、臨床心理士になって自分でデータを集めて研究しようと思いました。


大学から大学院時代、精神科クリニック時代にかけて、ユング・フロイトはもちろん、愛着理論や認知行動療法、いろんなパーソナリティの研究を探し回りましたが、私の求めている世界全体、人間全体のシステムを説明できる理論は現在の心理学には見つかりませんでした。


そんな私が「これだ!!」と思ったものが、メニューバーにある
「心理学(主に精神分析)」
「エニアグラム」
「占星術(主にサビアン占星術)」
「ヌーソロジー」
です。

この4つを通して、世界と人間の真実に迫りたいと思います。その中で、
「自分とはなんだろう」
「どうしたらやりたいことが見つかるの?」
「他人とうまく付き合うには?」
「この辛さはどうしたら解消できるの?」

という日々皆さんが向き合っている問題の手助けができればいいなと思っています。たまに映画や本、今ハマってるアメドラの話もしていく予定です。
ではでは、これからよろしくお願いいたします。

長い文章読んでくださって、本当にありがとうございました。


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