先日、主人と『キングダム』という漫画原作の映画を観てきました。

 『キングダム』は、2006年から「週間ヤングジャンプ」で連載されている原泰久さん原作の漫画作品です。

2012年から2014年にかけて、NHKBSプレミアムでアニメ版『キングダム』が放映されました。そして、今年4月から映画版が公開されています。

私はNHKでの放映が終わって、たぶん2015年くらいに、ネットの動画でアニメ版を一気に観たんですよね。

当時、アニメ作品では、ジブリ作品やエヴァ以来、本当におもしろいと思える作品ってほとんどなかったのですが、『キングダム』には本当に度肝を抜かれたんです。原作者の原さんは天才かなと思いました。宮崎監督や庵野監督とはまた違ったタイプの。

そして、今回『キングダム』が映画になるということで、はじめは「どうせまた残念な結果に終わるのだろう」と思っていたのですが、今回は邦画の枠を超えるような映画を作るために膨大な制作費をかけたという話を聞き、ちょっと観てみたいなと思っていたんです。中国ロケもしているみたいだし。

でも、うちの主人は邦画は興味ないから行かないと言っていたので、Netflixで配信されていたアニメ版を「めっちゃ面白いから!」と言って無理やり見せたんです(^^)。

そしたら、主人も激ハマり。

2人で夢中になって、第1期(全38話)第2期(全39話)をイッキ見しました。私は観るのは2回目のなのに、また2回泣きました(^^)。

ということで、主人も映画版を観る気になり、先日映画館に行ってきました。

今日は、まず序章として『キングダム』の映画版についてお話しし、次にアニメ版『キングダム』を『奥行きの子供たち』やこのブログで使用した概念で分析してみようと思います。

そして、アニメ版『キングダム』と、同じく漫画原作のアニメ版『進撃の巨人』の比較を行います。

この2つの作品の共通点は、2000年代初頭から漫画連載が始まり、戦争や軍隊がテーマになっているということです。にもかかわらず、この2つの作品は正反対の性質を持っています。

今日は、この2つの作品を通して『奥行きの子供たち』で出てきた概念をまた違う角度で説明してみたいと思います。

 
目次:映画版『キングダム』紹介&感想
   アニメ版『キングダム』と「成長の超自我」
   「天下の大将軍」の条件
   
中国春秋戦国時代と一神教的文明
   2000年代初頭以降はΨ14の時代

   Ψ14の時代と『キングダム』『進撃の巨人』
   『キングダム』と『進撃の巨人』は正反対の性質


映画版『キングダム』紹介&感想


<あらすじ>
紀元前245年、中国春秋戦国時代、中国は、秦・韓・趙・魏・燕・楚・斉の7つの国に分かれ、互いに覇権を争っていた。幼くして戦争で両親を亡くした秦国の少年信は、奴隷としてある家に売られ、同じく奴隷として働いていた漂と出会う。2人は奴隷の身分から脱するため、「天下の大将軍」を目指し、日々剣の稽古に明け暮れていた。

ある日、漂は偶然通りかかった秦国の大臣昌文君に宮廷に召し抱えられ、2人は離れ離れに暮らすことになった。しばらくして、漂は信のもとに深手を負った状態で戻ってくる。漂は、「秦王の弟が反乱を起こした」と言い、信に地図を渡し「この場所に行ってほしい」と言って息絶える。

信が地図の場所である山小屋にたどり着くと、そこには漂と瓜二つの少年、秦王の贏政(えいせい)がいた。漂は、贏政の身代わりとなり暗殺されたのであった。
信は、漂の仇をうつため、そして、漂との共通の夢「天下の大将軍」を目指すため、贏政の王都奪還に協力することになる。


というのが、映画版『キングダム』の出だしです。

漫画は現在も続いていて54巻まで出ていますが、映画版は5巻までの内容です。

アニメでは、第1期の38話の中の15話までの内容となっています。

さて、映画版の感想ですが……

結果から言うと、正直残念でした。

中国ロケをしたことで、セットは今までの邦画よりは全然よかったと思うのですが、脚本、演出、キャストはもうちょっと上手くできたのではないかと思いました。

時間が足りなかったために、大切なシーンやセリフを削らざるを得なかったのだと思いますが、それにしても……という感じです。

贏政(えいせい:吉沢亮)と王騎(おうき)将軍(大沢たかお:秦の六大将軍)はよかったと思いますが、やはり、どうしてもアニメ版のキャラが持つ、死線をくぐり抜けた人間の深み、重厚感、威圧感が足りないんですよね。

それから、日本のドラマや映画全般に言えることですが、どうしても「見られている自分」を意識している感じが出てしまうんです。ヌーソロジー的にいうと、内面の意識で演技してしまっている。

だから、画面から、その周囲にいるカメラや演出、監督などのスタッフが見えてきてしまうんです。

でも、ハリウッドやアメドラでは、ほとんどの役者さんたちは外面(見ている自分、主観)で演技しているように思います。だから、それを現実として感じることができるんです。

ということで、『キングダム』を観るなら、映画よりアニメ版がおすすめです。


アニメ版『キングダム』と「成長の超自我」


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▲amazon キングダム第1+第2期 全77話 DVDBOX全巻

アニメ版『キングダム』の魅力はたくさんありますが、まずはなんと言っても、ストーリー展開の上手さです。

アメドラでは、ストーリーに引き込まれ時間を忘れて、次!次!となって見続けてしまうということはよくあります。『プリズン・ブレイク』とか『24』とか、ですね。

日本のものでそういう作品に出会うことは少ないのですが、このアニメ版『キングダム』は、一話ごとに見どころがあって、一瞬たりとも飽きさせないのです。

そして、もう一つはキャラの持つ人間的深みです。

主人公信の属する秦国には伝説の「六大将軍」というのがいて(その生き残りが大沢たかお扮する王騎将軍)、敵の趙国には六大将軍と互角にやりあっていた「三大天」という大将軍がいます。

信は、その六大将軍や三大天を超える「天下の大将軍」を目指して奮闘するわけですが、その過程で、王騎将軍や三大天の廉頗(れんぱ)将軍、歴代の秦王たち、その他秦国の大臣、将軍、軍師、敵国の将軍、軍師など、信から見て、人間として「大きい」「偉大な」人物たちが登場してきます。

単純に武力の強さだけではなく、人間として生きるならば「目指すべき姿」というのを、明確に描いているのです。

そして、それが7カ国全体で強固に共有されている。

その基準を基に、伍長→百人将→三百人将→千人将→将軍→大将軍というように出世していくのです。

これが、私がこのブログや『奥行きの子供たち』で書いている「超自我」(精神分析用語で、心の中にある善悪の基準や「こうあるべき」という自我を上から縛るような心的機能)というものの機能です。

『奥行きの子供たち』では、2000年代初頭以降は、超自我が消え、「退行の超自我」だけになってしまっていると書きました。

超自我には「成長の超自我」と「退行の超自我」の2つの側面があります。

『キングダム』で描かれる「偉大な理想の人間像」というのは「成長の超自我」の機能です。

これに対して「退行の超自我」というのは、規則や規律、上下関係、法律などで他者を支配、管理し、偽りの自己を生み出すものです。

『キングダム』には、私達現代人が失ってしまった「成長の超自我」が強力に描かれているのです。


「天下の大将軍」の条件


では、『キングダム』で描かれる「天下の大将軍」つまり、「成長の超自我」=理想の人間像とはどういうものでしょうか。

趙国三大天の生き残り、廉頗(れんぱ)将軍が「大将軍になるために必要なものは、100の精神力、100の腕力、100の知恵、100の経験、100の幸運だ」と言っています。

この廉頗将軍の言う、精神力・腕力・知恵・経験・幸運を、以前記事にした「人間の性格を形成する4つの要素」で説明してみましょう。

4つの要素とは(1)遺伝(2)エニアグラム(3)出生後の経験(4)占星術的影響 です。

まず、廉頗将軍の言う精神力とは、その場を適切に判断し、自分の不安や欲求に支配されずに、目的に少しでも近づくような行動を取れることだと、私は考えます。

私のブログの言葉で言えば、まず遺伝や親子関係、エニアグラム、占星術的影響から来る欲求・不安を意識化し、それにコントロールされずに、その場に適切な行動を取ることです。

腕力は、遺伝と経験(修練)が関係します。

知恵には、同じく遺伝と経験(学習)、そして、エニアグラムや親子関係が関係してきます。

戦場では、戦況の全体的な分析はもとより、その場の一瞬の判断が勝敗に大きな影響を与えます。

その判断には、エニアグラムや親子関係で作られた欲求・不安に影響されず、適切な行動ができる精神力と、相手の将軍の性格や生き方、自軍の部下の状態の分析が重要です。他者の意識状態や性格を正しく把握するためには、自分の意識状態、性格を把握していないとなりません。

自分が浅くしか分かっていない人は、他者のことも同じレベルでしか把握できないからです。

経験は、そのまま経験ですが、これは精神力・腕力・知恵との相互作用となります。

信が「戦場で死線をくぐり抜け、自分の限界を超えていくことで、天下の大将軍に近づくことができるんだ」と悟るというシーンがあるのですが、これは、天下の大将軍になるには、精神力で死や失敗への恐怖を乗り越え、それまで培った腕力と知恵を総動員して戦うという経験が必要ということですね。

そして、幸運。これは、そのまま、私のブログでいう占星術的影響です。

廉頗将軍の部下、輪虎(りんこ)将軍が、信に「天に愛される武将は一握り」というシーンがあるのですが、これは天下の大将軍になるには運が必要ということです。

それに対して、信が

全部天任せみたいじゃないか、そうじゃねえだろ。おれたちはみんなてめえの足で立って戦っているんだ!いまのお前だって、廉頗の剣であるために命がけで戦ってきた結果だろうが!

と返します。

運は重要だというのは分かるけれども、その上で、自分の精神力・腕力・知恵・経験を生かして、精一杯生きることで、道は開けるんじゃないかと言うのです。

確かにそうですよね。私もそう考えています。「人事を尽くして天命を待つ」です。

それに加えて、人と人との信頼関係というものも、偉大な人物の条件として言及されています。

秦王贏政の曽祖父の昭王(しょうおう)は戦神と言われ、偉大な王とされているのですが、その部下が「六大将軍」でした。

六大将軍は昭王と揺るぎない鉄の忠誠心でつながっていたために、王の承諾なしに自由に戦を行う権限を持たされていた。その権限があったために偉大な軍功をあげ、「六大将軍」は伝説の大将軍として中国全土で今も崇拝されていると。

それが、信に言わせると「めちゃくちゃかっけーじゃねえか!」。

人とそこまでの信頼関係を築ける人間性が、カッコいい将軍の条件でもあるのです。

また、信は王騎将軍や廉頗将軍など偉大な人物に会ったときには、直感でそのまとう雰囲気、オーラというかカリスマ性のようなものを感じ取ります。

信は、王騎将軍のことを

「あの人は他の将軍とは違う、とてつもなくデケえ、圧倒されちまうんだ。」

といっています。

この威圧感のようなものの正体はなんでしょうか?

『奥行きの子供たち』では、自己と他者の奥行きが組み合わされた自己他者構造こそが素粒子構造であり、それが「複素ヒルベルト空間」であると書いています。

そして、その「複素ヒルベルト空間」とは、その人の全人生の記憶のある場所、記憶の器であると言っています。

信が感じた王騎将軍の威圧感は、王騎将軍の精神力・腕力・知恵・経験・幸運の全てが詰まった「複素ヒルベルト空間」だと言えるのではないかと思います。

ちなみに、私は王騎将軍のファンです(^^)。


中国春秋戦国時代と一神教的文明


中国の春秋戦国時代(紀元前770年〜221年)は、オリエンタルラジオの中田敦彦さんの中国史の動画によると、上に立つ統率者のカリスマ性で統治する時代であり、秦の始皇帝が7カ国を統一してからは法での統治になるということでした。

そして、同時に、この時代に儒教の創始者である孔子(紀元前552年〜479年)が登場しています。儒教とは、仁義の道、上下秩序を重要視する思想ですよね。孔子は、徳のある統治者が、その徳をもって人民を治めるべきであるとしていました。

『キングダム』の将軍や王のあるべき姿というのは、この孔子の思想から来ているのかもしれませんね。



ヌーソロジー的には、春秋戦国時代はΨ7〜Ψ8(Ψ10がなぞる)の時代と言えると思います。

個人の意識発達でいえば、4歳から6歳の男根期。この時期は、言葉が発達し、意識は身体から心に同一化し、善悪の概念、つまり、超自我が芽生える時期です。

孔子の儒教はまさに超自我的な思想ですよね。

『奥行きの子供たち』では、この男根期的文明と次の潜在期(児童期)的文明(Ψ9)を一神教的文明と書いています。歴史における一神教的精神とは個人的意識でいえば超自我のことでもあります(この辺のことは『奥行きの子供たち』で詳しく説明しています)。

そして、秦の始皇帝が中華を統一し、法で統治し始めるのがΨ9の時代と言えると思います。

アニメ版『キングダム』では、何万という歩兵たちが大将軍の「全軍、前進!!」などの掛け声だけで、興奮の坩堝と化すというシーンが何回かあります。そして、逆に、将軍が倒されると歩兵たちはたちまち戦意を失い、総崩れとなります。

つまり、個がまだ弱く、権威と同一化することが自然な時代であるということです。

『キングダム』はこのような超自我的な時代のストーリーなので、「成長の超自我」が強いのは当たり前といえば当たり前と言えますね。


2000年代初頭以降はΨ14の時代


中国春秋戦国時代がΨ7〜8ならば、現在はΨ14の時代となっています。

『奥行きの子供たち』では、2000年代初頭から、「他者軸の時代」「パラノ的デジタル資本主義の時代」になっているとしています。これがヌーソロジーでいうと、Ψ14の時代となります。

Ψ14は、個人の意識発達でいうと、もう肉体の死の段階に入っています。

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この図では、Ψ14は右側の外面の側にありますが、パラノ的(内面的)と言っているように、外面的な観察子ではありません。

なのに、なぜ外面側にあるかというと、Ψ14は自己の内面ではなく、さらに一段階落ちて他者側の内面に向かうということを表しています。

つまり、Ψ14の時代は「他者化の3種類」の記事で書いた、他者化を促す時代ということです。

したがって、自分の考えよりも他者にどう思われるかを重要視し、他者に承認されることを求める「他者軸の時代」になります。

親=科学=権威という内面3兄弟に同一化して、弱者をたたくというマインドに陥りやすいのです。それが「退行の超自我」です。

Ψ7〜8の春秋戦国時代に将軍に同一化するのは自然なことですが、Ψ14に至ってまで権威に同一化していると完全に他者化してしまいます。


Ψ14の時代と『キングダム』『進撃の巨人』


このように2000年代初頭以降は、自己よりも他者の価値が上がり、自己=個人よりも、他者=集団の方が重要だという価値観が広がりやすい時代となっています。

『キングダム』とちょうど同じ頃に連載がはじまり、同じく戦争や軍隊というテーマを扱っている大ヒット漫画『進撃の巨人』がありますね。

『キングダム』は2006年から連載が始まり、総売上3600万部。

『進撃の巨人』は2009年から連載が始まり、総売上7600万部。

どちらもアニメ化、映画化されています。

戦争や軍隊の上下関係、秩序を重んじ、その中の一つのコマとして動くというのは、まさにパラノ的超自我的なテーマです。

この2つの漫画は、この時代に出るべくして出たと言えるのではないでしょうか。


『キングダム』と『進撃の巨人』は正反対の性質


私は、『進撃の巨人』もアニメシリーズを一応全部見ています。

こんなに大ヒットしているだけあって、面白いことは面白いんですけども、私の中では『キングダム』には敵いません。これは趣味の問題だと思うのですが。

最初にも書きましたように、『キングダム』と『進撃の巨人』は正反対の性質を持っているんです。

『進撃の巨人』のあらすじは

人間を食べるが知能は低い巨人の襲来を防ぐために高い防壁を作って暮らしていた人間たちは、100年間は巨人に襲撃されることなく平和に暮らしていた。しかし、ある日、今までになく巨大な巨人が町を襲う。主人公のエレンは母を巨人に殺され、巨人への復讐を誓って軍隊に入り、巨人の駆逐を目指す。

という感じです。

『キングダム』の信の行動原理は、「天下の大将軍」になることでした。これは、先程お話したように、「理想の人間になること」=「成長の超自我」です。

しかし、『進撃の巨人』のエレンの行動原理は、驚異ではあるが自分よりも知能が低い巨人を駆逐すること、つまり、自分より低い位置にある存在を支配することが目的なのです。これは「退行の超自我」と言えるでしょう。

しかも、エレンは自分の身体を傷つけることで巨人に変身することができることが分かります。巨人に変身することで、巨人に対して大きな攻撃力を手にし、仲間や上司から重要な戦力として一目置かれるようになるのです。

ここでいう巨人化とは、本能を開放し、動物的な力を手にするということです。

『奥行きの子供たち』では、このことを「退行のタナトス」と呼んでいます。

「成長のタナトス」は、自我を確立し、自己他者構造=素粒子構造を見出すこと、つまりヌーソロジーでいう変換人になることを指します。

それに対して、「退行のタナトス」は、自我を確立しないまま、原初の母との一体化状態に戻ること、つまり子宮回帰を指します。これは動物化ということでもあります。

『奥行きの子供たち』では、『エヴァンゲリオン』の「人類補完計画」を「退行のタナトス」であるとしています。

『キングダム』は、Ψ7〜8の時代なのでさすがに変換人まではいきませんが、自我の確立までを明確に表現しています。なので『キングダム』は「成長のタナトス」の方向だと言えるでしょう。

でも、やはり『進撃の巨人』の方が総売上が2倍以上多いということは、Ψ14の時代には「退行の超自我」「退行のタナトス」の方が人気が出るということなのかもしれませんね。

今回の『キングダム』『進撃の巨人』分析は、『奥行きの子供たち』を読んでいただけると更に理解が深まると思います。

興味を持って頂けた方は、ぜひ『奥行きの子供たち』を読んでみてくださいね!

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『奥行きの子供たち』のレビューもお待ちしています(^^)。