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さて、今日もまた『奥行きの子供たち』のレビューをご紹介したいと思います。

Facebookでレビューを書いてくださったBさんです。

もう読まれている方もいらっしゃると思いますが、今日はこのレビューをもとに、第5章「2001年宇宙の旅」で出てくる「現実界のつかみ損ね」と自我の欲望について、主に書いてみたいと思います。


目次:Bさんのレビュー
   現実界のつかみ損ねと自我の欲望
   ヌーソロジーに何を求めるか
   個人的意識発達と歴史意識の発達の相関性 
  

Bさんのレビュー


「奥行きの子供たち」わたしの半身はどこに?
 

おすすめです!!
 

「君の名は」「新世紀エヴァンゲリオン」「ロード・オブ・ザ・リング」「マトリックス」「2001年宇宙の旅」を題材に、私たちがこれから向かうであろう世界観が描かれています。
 

ずっと何かを探している感覚がありました。
 

何を学んでも、長年抱えていた「トラウマ」を癒すどんなセッションを受けても、この「何かを探している」感覚だけは消えませんでした。
 

そんな時に読み始めたのが「シュタイナー思想とヌーソロジー」。
 

ここにヒントがある!

そう直観しました。
 

ヌーソロジーがカバーしている分野は量子論、哲学をベースにグノーシス、カバラ、カタカムナ、幾何学、精神分析・・・などあまりにも膨大。
 

また、難しい数式が出てきたり、ヌース言語が意味不明だったり、取っつきにくさは天下一品(*^^)v
 

この4月に出版されたこの本はとにかく読みやすい!!
 

そして、それぞれの映画から読み取れるメッセージと、私たち人類が辿ってきた歴史を重ね合わせて、これからどこに向かおうとしているのかを教えてくれています。
 

これまでのヌース本にはなかった心理学的な側面からの考察を、春井星乃さんが語ってくださっているところが特に面白かったです。
 

意識発達においても個体発生は系統発生を繰り返していることは以前から言われていたけれど、そのことを映画と絡み合わせて解説してくださり、そっか、そっかとうなずき続け。
 

最後の「2001年宇宙の旅」のくだりになると、やはり私が探していたのはこれなんだなと。
 

またまたこれまでのヌース本、改めて読み直したくなりました!!
 

そして、能動的知性を身につけトランスフォーマーへ。
 

すっかり一人語りになりましたが、この本めっちゃおすすめです!



「現実界のつかみ損ね」と自我の欲望


ずっと何かを探している感覚がありました。

 何を学んでも、長年抱えていた「トラウマ」を癒すどんなセッションを受けても、この「何かを探している」感覚だけは消えませんでした。

 そんな時に読み始めたのが「シュタイナー思想とヌーソロジー」。

 ここにヒントがある!

そう直観しました。


「ずっと何かを、誰かを探している。」

これは、「君の名は。」冒頭の瀧くんのセリフです。『奥行きの子供たち』でも、第1章の章扉の裏に載せています。

『奥行きの子供たち』第5章では、奥行き、つまり純粋持続、ラカンでいえば現実界の「つかみ損ね」によって、人間の欲望が生まれるというお話をしています。

あまり詳しくは書けませんが、人間は身体として生まれることで、現実界をそのまま捉えることができなくなり、幅の世界で現実界のシッポをつかもうとするのです。その幅の世界で認識された、現実界の姿の成れの果てが、エニアグラムを含めた、私達の自我の欲望です。

私達人間は、本当は現実界を求めているのにそれを忘れてしまい、現実界が姿を変えた自我の欲望を求めてしまうということです。

本では、この辺のことが、第2章「エヴァ」で説明する乳幼児期の意識発達と絡めて、現実感覚として分かるように構成されています。

私達は、瀧くんのように、三葉がいたことさえも忘れてしまっているんですね。それで、三葉のおもかげを求めて、全く違うものを追い求めている。

その欲望に執着すればするほど、三葉は忘れ去られていく……人間の意識というのは、そういう皮肉な構造を持っているということです。

Bさんは、この現実界のシッポをつかもうとされているのかなと感じました。

そして、「そのシッポをつかむためにヌーソロジーが助けになる」と直感されているように思います。

私も、ヌーソロジーはそのための知識だと考えています。

つまり、半田さんがよく言っている「奥行きから幅を取り去る」ということです。

現実界を認識するためには、幅で作られた自己イメージ(親子関係やその他の出生後の経験でできる自己他者イメージ・エニアグラム等)、自我の枠組み(ヌーソロジーの空間構造)を意識化し、取り除いて行かなければならないと、私は考えています。


ヌーソロジーに何を求めるか


ヌーソロジーは、本来、「奥行きから幅を取り去るための知識」であるべきだと思うのですが、逆に幅を強固にするために使われるケースがあります。

先日、Twitterで、ひじりさんという方が私のブログ記事「幅は2種類ある」をご紹介してくださいました。

「幅」は2種類ある - 星乃かたちみ 共感します。下手をすると、インテリの知的遊戯で終わってしまう。私はヒーリングやらセラピーやらで、自身を解放していく必要があると思います。私も含め、多くの人が幅で形成された自分に振り回されていますから。内観はしんどいけどね。

つまり、ヌーソロジーの構造論だけを表面的にこねくり回していても「インテリの知的遊戯で終わってしまう」ということですね。

私もずっとそこに危機感を持っていて、ヌーソロジーを知的遊戯や現実逃避で終わらせないようにするということが、この『奥行きの子供たち』執筆の大きな動機となっています。

「幅は2種類ある」でお話した、自我の内容物としての幅(親子関係や出生後の経験などで形成される自己他者イメージ、エニアグラムタイプ)の欲望を叶えたい、そこから生じる不安から逃げたい……

いわゆる自我を安定した形で維持したいという欲望。。

そういう動機でヌーソロジーに取り組んでいないか、今一度、自分の奥深くの動機を見つめて頂きたいというのが、私の強い思いです。

さっきもお話したように、人間というのは、自我を維持するということが第1目的になってしまうように作られているので仕方ないことではあるのですが。

でも、ヌーソロジーはそれを超えて、現実界に到達するための知識です。

なので、それをしないとヌーソロジーの本来の目的が、全く本末転倒の結果を生むことになってしまいます。自我を超えるための知識のはずが、逆に自我を強固にしてしまうことになります。

現実界に至るための知識が、現実界への道を阻む壁になってしまうのです。


個人的意識発達と歴史意識の発達の相関性


これまでのヌース本にはなかった心理学的な側面からの考察を、春井星乃さんが語ってくださっているところが特に面白かったです。

 意識発達においても個体発生は系統発生を繰り返していることは以前から言われていたけれど、そのことを映画と絡み合わせて解説してくださり、そっか、そっかとうなずき続け。


今回心理学や精神分析、個人の意識発達、自我の確立の話を盛り込んだのは、ヌーソロジーを知的遊戯や現実逃避で終わらせないためというのもありますし、ヌーソロジーの全体性をよりよく理解して頂くためというのもあります。

中でも、個人的意識発達と歴史意識の発達が同じ構造によって生じているということが皆さんに理解して頂けたら、文系の方も大分ヌーソロジーが身近に感じることができるのではないかと考えました。

私自身、この2つの相関性の部分が、ヌーソロジーの中でも一番好きなところだったりします(^^)。
自分の専門だからではありますが、本当にそうなっているんだ〜ってことが実感でき、未来に対しても見通す目を持つことができるからです。

なので、Bさんから心理学的側面の話、特に個人的意識発達と歴史的意識の相関性の話が面白かったと言って頂けて、とても嬉しかったです(^^)。

ということで、まだ読んでいない方はぜひ読んでみてくださいね!!

現実界=純粋持続=変換人に至るための基礎知識が詰まった本です。

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読んだ方はレビューお待ちしています(^^)。