今日は、私の日々の雑感というか軽めな感じのお話です。

以前の「エニアグラムタイプ4w3と4w5の比較記事」でも書きましたが、私は宮崎駿監督の作品の曲を作っている久石譲さんが好きなんですよね。

それで、Youtubeでよく久石さんの曲を聞いているのですが、一番のお気に入りは2008年に行われた「久石譲スタジオジブリ25周年記念コンサート」の動画なんです。

2017年には、フランスのパリでも久石さんのコンサートが開催されています。この動画も一部Youtubeに上がっていて私も見ていたのですが、先日、うちの旦那様がYoutubeを見て「久石譲ってパリでもコンサートやったんだね」と言ったのを機会に、もう一度見てみたんです。

普段、うちはドラマや映画はほとんどアメリカやヨーロッパのものしか見ないんですよね。どうしても日本の映画やドラマは、全てにおいて欧米に遅れを取っていると感じてしまって。悲しいことですが。

でも、このパリのコンサートを聞いたところ、どう聴いても日本の方が数倍上なんです。数倍というより、もう別物というくらいの違いがありました。

以前聞いたときは、パリは下手としか感じなかったんです。たぶん、演奏者の人数や練習量、かけているお金も日本のコンサートの方が上なんだろうなと思っていました。

でも、先日再度聞いたときに「いやそれだけじゃない」と感じたんです。

それでは、まずパリのコンサートから聴いてみてください。



私の感想を書く前に、2008年の武道館でのコンサートも聴いてみましょう。パリの動画と同じ、もののけ姫の「アシタカせっ記」は11分30秒くらいから始まりますので、まずは「アシタカせっ記」から聴いてみてください。



みなさん、どうお感じでしょうか。

うちの旦那様は本当にアメドラや映画大好き人間なので、私が別のことをしているときにもリビングに英語が流れていることがあります。

ある時、画面を見ないで英語だけ聞いていると、ふと「あ〜この人達の意識は後ろにある」と感じたんです。これはあくまで私の感覚なんですが。。話している人の意識に同調するとそういう感じがします。

そして、日本のドラマを音声だけで聞いてみると、今度は意識が前にあり、中心で重なっているように感じます。

みなさんも時間があったら、やってみてください。

このパリの演奏を再度聞いたとき、同じことを感じたんです。演奏者の意識が後ろにあり、個人個人が独立して自己主張をしているような感じです。だから、音に深みがなく、バラバラのように感じます。

他者の視線を意識している感じもあります。これが、アメドラや欧米の映画がセンスがいいことと関係しているのかもしれません。前から後ろという方向性は他者からの視線を表しているので。これは、このブログでいつも言っている人間の内面の意識です。

でも、日本の武道館コンサートの音は、全く違いますよね。私は前で意識が重なり合って一体となっているように感じました。ヌーソロジーで言えば、人間の外面の意識ですね。

以前の記事でも書きましたが、宮崎駿監督も久石譲さんも、ものすごい才能のあるエニアグラムタイプ4w5なので、高いレベルで混じりけのない4w5の純粋さを表現できる奇跡のコラボということで、こんな素晴らしい曲と演奏が可能になったんじゃないかと思っていました。

そして、日本人の意識の根底にはすでに宮崎駿監督の映画が根付いているけれども、フランス人にはそれがないということも関係しているのではとも思っていました。日本人であれば、ジブリの映画の表現したいものは無意識に分かっているところがありますからね。

でも、フランス人の演奏を聞いて、やっぱりそれだけじゃないと思ったわけです。フランス人の演奏者の方も映画は見てるでしょうし。

やはり、ヌーソロジーでよく言われる日本語の精神と英語等の欧米の言葉の精神の違いが、根底にあるんじゃないかと思ったわけです。

宮崎駿監督も久石譲さんも日本語を話す日本人ですから、当然曲にも日本語の精神が入ります。その日本語の精神が入った曲だからこそ、意識を後ろに持つフランス人の演奏には向かなかった、粗が目立つことになったということなのかなと思いました。「もののけ姫」は特に、日本を舞台にした日本が1つのテーマの作品ですし。

もしかしたら、映画やドラマも、本当に日本人に合った、日本語の精神で書かれた素晴らしい脚本と本当に才能のある監督がいれば、欧米に負けない作品ができるのかもしれません。黒澤明監督は今でも欧米で尊敬されていますよね。

そして、ヌーソロジー的にいうと、この日本人の「前に意識を持ち一体化する」という性質が、顕在化のΨ7や金の精神と関連しています。本当は最も変換人に近いはずなんです。

それを阻んでいるのが自我です。今、日本人は自我の誘惑に負けて感情の劣化が進行し、そこから程遠い状態になっている気がします。このブログでいつも言っている「他者化」や「エニアグラムの囚われ」です。この自我の影響力が強いと、前で一体化することができないのです。

ですから、せっかく持った素晴らしい性質を宝の持ち腐れにせず、自我の誘惑に負けずに幅から開放されて、少しでも本当の金の精神に近づけるように生きていきたいですよね。