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先日、このブログでもよくご紹介している社会学者宮台真司さんのラジオTBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」12月14日(金)放送分を聞きました。

ここでの話題は、「自己肯定感」

現在、中学受験をする子供が増えており、私立中学選びにおいて、この「自己肯定感」を伸ばす教育に力をいれているかどうかということが偏差値よりも重要視されるようになってきているということでした。

「自己肯定感」という言葉は、私が学生のころから心理学では研究対象としてメジャーな用語でしたが、最近は教育現場や日常的にも使われることが多くなっているのですね。

今日は、人間として生きていれば誰もがその必要性を感じていると思われる「自己肯定感」を、日常とは無縁というイメージのある(笑)ヌーソロジーではどのように考えるのかというお話をしてみたいと思います。


目次:社会学のシステム理論における自己肯定感の2種類
   内面的自己肯定感と
外面的自己肯定感   
   社交術=自分は一廉(ひとかど)の人物と思わせる力
   エニアグラムタイプと社交術
   宮台さんのエニアグラムタイプ=1w9の考え方
   ヌーソロジストと2種類の自己肯定感    
  

社会学のシステム理論における自己肯定感の2種類


このラジオで宮台さんは、社会学のシステム理論においては「自己肯定感」には2種類のものがあるとおっしゃっています。

1つは、「自由な試行錯誤によって養われた自己肯定感」

もう1つは、「崇高なものと一体化することによる自己肯定感」
 

「自由な試行錯誤によって養われた自己肯定感」とは、いろいろと自分で自由にやってみて、そこで失敗したり成功したりしながら徐々に培われていくもので、それによって更に高い目標にチャレンジできるようになるということでした。

「崇高なものと一体化することによる自己肯定感」は、「国」や思想など、自分が「崇高」だと思えるものと自分が一体化することによって得られる自己肯定感です。

1つ目の「自由な試行錯誤による自己肯定感」があれば、「崇高なものとの一体化による自己肯定感」は必要がなくなるけれども、前者がないと後者に頼らざるを得なくなり、全体主義が生まれると宮台さんはおっしゃっています。


内面的自己肯定感と外面的自己肯定感


私のブログをいつも読んでくださっている方は、この後者の「崇高なものとの一体化によって得られる自己肯定感」とは、権威主義的パーソナリティなどの「他者化」のことなんじゃないかとお気づきだと思います。

この「崇高なものとの一体化によって得られる自己肯定感」とは、まさに私が「他者化の3種類」の記事でお話した「他者化」によって得られるものだと考えます。

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ヌーソロジーで言えば、Ψ9(児童期)で親からの精神的自立につまづき、Ψ12前半(思春期)でのアイデンティティの確立ができずに、Ψ9(親)、Ψ11前半(科学的思考)、Ψ12後半(社会で共有された思想)の内面3兄弟に同一化することで得られる内面的自己肯定感ということです。

心理学では、このような自己肯定感の種類分けというのは私が知っている範囲ではなかったので、宮台さんのお話を聞いて、「社会学ではこんな理論があるんだ、なんで心理学にはないんだろう」とちょっと思ってしまいました(^^)。

では、「自由な試行錯誤による自己肯定感」とはどういうことでしょうか。

ヌーソロジーでいえば、外面的自己肯定感、つまり、Ψ9(児童期)で親から自立し、Ψ12前半(思春期)できちんとエニアグラムタイプを意識化し、コントロール可能にしていくことで得られるものだと考えています。

つまり、親子関係、勉強や受験、友人関係、恋愛、仕事、結婚、子育てなどを通して「自由な試行錯誤」をしながら、エニアグラムタイプの意識化とコントロールを徐々に学んでいくことで、自分は大丈夫という感覚を養うことができるのです。

でも、Ψ9で親からの自立につまづくと、そのまま親や家庭環境で作り上げられた価値観を取り込んで生きるか、その逆をやったりして生きることになります。

それで、もしいくら偏差値の高い学校に受かって、いい会社に入ったとしても、人間関係でつまづいたり、子供に影響が出たりしてしまいます。普段は抑圧できていても、ふとした際に、漠然とした空虚感や不安感に悩まされることもあるでしょう。

Ψ12前半のエニアグラムタイプの意識化とコントロールに失敗して、人間関係がうまく行かず、精神病理を発症する場合もあります。

これらは、本当の自分(遺伝やエニアグラム、占星術的影響)が隠れてしまっていたり、ネガティブにしか発揮できていないからです。

その自信のなさや不安感、空虚感を埋めるため、無意識に「崇高なものとの一体化」を目指すのです。

もちろん、Ψ12前半でアイデンティティをしっかりと確立し、そこから自分が惹かれる思想や知識に傾倒するのは、さらに「自由な試行錯誤による自己肯定感」を高め、アイデンティティを確固としたものにします。

問題なのは、Ψ9でつまづき、Ψ12前半でアイデンティティを確立できずに、「自由な試行錯誤による自己肯定感」が欠如したまま、「崇高なものとの一体化」をしてしまうことなんです。


社交術=自分を一廉(ひとかど)の人物と思わせる力


ラジオの話に戻ります。

宮台さんは、「自由な試行錯誤による自己肯定感」があれば、相手の一挙手一投足が気にならないが、これがない人は相手の一挙手一投足が気になって仕方ないので、営業やナンパが下手だと言います。

そして、マニュアル的な社交術に終始するのですが、そうすると相手を物のように扱うことしかできなくなる。これは、ヌーソロジーがいう「幅の世界」そのものですよね。

また、宮台さんによると、F1のモナコでのパーティーで、日本人の取材者がドレスコードに合わない服を着ていって批判が殺到したということがあったそうですが、ドレスコードというのも社交術の一種で、自分を一廉の人物と思わせるためのものだそうです。

そして、「アップルのスティーブ・ジョブズはどんなパーティにもTシャツとジーンズで行く。それはドレスコードなんかに合わせなくても、自分を一廉の人物と思わせる力があるからだ」と言います。

つまり、「自由な試行錯誤による自己肯定感」があれば、無理に礼儀作法などの外的な基準に合わせなくても、一廉の人物と思われることは可能だし、他人の評価は気にならないということですね。

そして、おそらく「自由な試行錯誤による自己肯定感」がない人が、礼儀作法などの外的な基準ばかりに合わせて自分を一廉の人物に見せようとしても、それは結局うまくは行かない。外的な基準になんて合わせるなということなんだと思います。

ヌーソロジー的には、内面・幅の基準です。

人間レベルでの、「幅で生きるな、奥行きに生きろ」という感じですね。


エニアグラムタイプと社交術


ただ、私はこの問題はエニアグラムタイプのことも考えないといけないと思っています。

社会と一体化し外的基準で生きるタイプ3・6・9(特にタイプ3)と、「〜すべき」の超自我が強いタイプ1・2は、礼儀作法やドレスコードなどを重要視します。

以前TVで見かけた礼儀作法の女性講師の方たちは、私の見る限りでは、タイプ3w2か2w3か、タイプ1の方が多そうでした。

ですから、タイプ3・6・9とタイプ1・2の人は、「自由な試行錯誤による自己肯定感」が高くても、外的基準から逸れることは少ないと思います。

逆に、個性的で他人と違う生き方をしたいと思うタイプ4は、たとえ「自由な試行錯誤による自己肯定感」が高くなくても、ドレスコードを守りたくないと思う傾向があります。

ちょっと前に、NEWS ZEROでコメンテーターをしている落合陽一さんの衣装が相応しくないと批判されていましたよね。彼は私から見ると、かなりタイプ4w3です。「自由な試行錯誤による自己肯定感」も高い方だとは思いますが、私はタイプ4の影響が強いと思います。


宮台さんのエニアグラムタイプ=1w9の考え方


「正義から享楽へ」の記事で、私は宮台さんはタイプ1w9だと思うと書きました。

超自我が強いタイプ1w9なのに、なんで礼儀作法とかドレスコードを否定しているんだろと思いますよね。

「正義から享楽へ」の記事でも書きましたが、宮台さんは、自分の「〜すべき」の強さとそれがネガティブに働くことをご自分で痛感し、それを否定して「楽しいこと」=享楽の追求というタイプ7の方向に自分を持っていったのではないかと考えています(タイプ1の成長の方向がタイプ7)。

このラジオの最後で宮台さんは、「ケンカが弱いならケンカが強い友達がいればいい、英語ができないなら英語ができる友達がいればいい。自信のないヘタレがなんでも自分でやろうとして沈没していくの、ざまーみろ!」と言います。

この考え方は、めちゃめちゃタイプ1っぽい考え方なんです。

何故かと言うと、タイプ1はそもそも「〜すべき」と思ったことを全て完璧にやらないと安定できないという傾向を持っています。そうじゃないと、「一廉の人物と見られない」「舐められる」と感じます。

そこに囚われると、全て自分で完璧にやらないと気が済まないし、他人を信頼して任せるということができないので、どんどん対人関係も仕事もうまく行かなくなり、疲れ果ててしまいます。

宮台さんはご自分の経験からそれを痛いほど分かっているので、こういう言い方をされたんだろうなと思います。

「正義から享楽へ」は宮台さんの映画批評本の題名ですが、面白いことにそれがそのまま宮台さんの生き方になっているんですよね。

なので、正義や法、常識、礼儀作法、ドレスコードなどの「〜すべき」は、尚更宮台さんにとっては自分を退化させる悪として映っているんじゃないかと思います。

「言葉の自動機械」という概念もここから出たのかもしれません(宮台真司氏「自動機械」の心理学的考察)。

宮台さんはタイプ1を克服しているのでこのような考え方になっていると思うのですが、他のタイプのことも考えると、やはり一概に外的基準に合わせるのがいけないのではないと思うんです。

特に、タイプ4の場合は、逆に外的基準に合わせること=超自我の育成が成長の鍵になりますので。

ですから、タイプそれぞれの囚われをその場に合わせてコントロールできるようになることで、「自由な試行錯誤による自己肯定感」を養うことが大事なのではないかと思います。


ヌーソロジストと2種類の自己肯定感


物理学、数学、生物学、化学、工学などの理系の分野にも、法学、政治経済学、歴史、文学、哲学、心理学、社会学などの文系の分野にも、IT技術の分野にも、それぞれ、その分野の知識からこの2つの自己肯定感を得ている人たちがいると思います。

当然、スピ系の人たちにも、ヌーソロジストにも、2種類の人がいるということになります。

またいつものお決まりの話になってしまいますが、特に変換人を目指すヌーソロジストの方には、ご自分の幼少期の親子関係から、現在の人間関係の状況まで、今一度振り返っていただきたいのです。

時間や生活の余裕がないと難しいとは思いますが、自分の深い動機と向き合うことが、結局は「幅からの開放」、変換人への近道となると私は思っています(「幅は2種類ある」)。