今日は、既にヌーソロジーを学ばれている方向けのお話です。
ヌーソロジーの目的は、端的に言うと「奥行きから幅を取り去る 」ことです。
これは半田さんがよく言っていることですよね。
簡単に言うと、自己と他者の間にある空間構造を見出し、本来純粋持続である私たちの意識から、他者の視線によって作られた、3次元空間認識を取り去るということです。
これを達成した意識が「変換人型ゲシュタルト」と呼ばれている状態ですよね。
今日は、関西ヌーソロジー研究会の川瀬さんが今年出版された『ワンネスは2つある』にかけまして(笑)、その「幅」には、実は2種類のものがあるということをお話したいと思います。
目次:ヌーソロジーを本当に体感できている人はほとんどいない
知識だけを追求しても「幅」から逃れられない
ヌーソロジーの「幅」とは自我の枠組み自体
自我に蓄積されたイメージとしての「幅」
変換人を目指すなら
知識だけを追求しても「幅」から逃れられない
ヌーソロジーの「幅」とは自我の枠組み自体
自我に蓄積されたイメージとしての「幅」
変換人を目指すなら
ヌーソロジーを本当に体感できている人はほとんどいない
半田さんのレクチャーや本では、哲学や物理学や神秘学、精神分析などを使いながら、この自己と他者の間の空間構造を説明して、なんとか、私たち人間の意識から「幅」を取り除こうとしています。
ヌーソロジーに惹かれて勉強している方々も、この科学的世界観、3次元空間認識に疑問を感じ、何か隠された真実があるのではないかという直感から、ヌーソロジーに興味を持ったという方が多いと思います。
そして、やっぱり、オコツトの言うような「等化」「5次元意識」「変換人」という意識状態に近づければなという淡い期待や憧れも持ちますよね。ヌーソロジーをやればそういう意識になって、現実生活も楽になるんじゃなかろうかと。
でも、ヌーソロジーが世に出たのは「人類が神を見る日」出版の1997年で、20年以上の歳月が経っています。
その中で、20年以上、熱心にヌーソロジーを追い続けてくださっている方たちもいらっしゃいますが、私の見る限りでは、本当の意味でヌーソロジーの感覚を体感できている方はほとんどいないと思います。
もちろん、ヌーソロジー自体がまだ発展途上の宇宙論であることもあります。論理構造も、この20年でかなりすっきりとまとまって、分かりやすくなっていますので、これからということもあるでしょう。
でも、私的には、それ以上に、ヌーソロジーの構造論を理解して体感するレベルまで行くには、ある条件があると思っています。
知識だけを追求しても「幅」からは逃れられない
先ほど、ヌーソロジーの目的は「奥行きから幅を取り除くこと」と書きました。
でも、もし、レクチャーや本で扱っている「幅」=3次元空間認識とは別に、私たちには取り除かなければならない「幅」があったとしたら?
いくら、ヌーソロジーのψ・Ω・Φなどの知識だけを追求しても、もう1つの幅が取り除けなければ、結局、幅の世界からは逃れられないということになります。
ヌーソロジーの「幅」とは自我の枠組み自体
ヌーソロジーで扱っている「幅」=3次元空間認識とは、言い換えれば自我の空間認識とも言えます。
自我とは、エニアグラムとフロイトの口唇期・肛門期・男根期の記事でも書きましたが、他者=親との相互作用の中で形成されるものです。
その中でも、初めて赤ちゃんが3次元空間に投げ出されるきっかけが、ラカンの鏡像段階(私は口唇期と肛門期の間に位置していると考えています)です。
口唇期では、前記事(フロイトの口唇期の世界とエニアグラムタイプ4・5・9)でも書いたように、赤ちゃんはまだ「自分と自分以外」というあいまいな2元論の世界、奥行き=自分という世界にいます。
しかし鏡像段階を経て肛門期になると、赤ちゃんは、親から見た自分の身体というイメージに自己同一化していきます。親の眼差しに映る自分に同一化し、はじめて3次元世界の住人になります。
でも、それはヌーソロジー的に言えば、まさしく鏡像の世界、つまり他者の視線によって作られる「幅」の世界ということになります。
自我は、他者によって作られた思い込みにすぎないのです。
この大もとの、自我の枠組み=「幅」=3次元空間認識を取り除こうとするのが、ヌーソロジーだと言えます。
自我に蓄積されたイメージとしての「幅」
そして、この自我の枠組みとしての「幅」以外に、自我に蓄積されたイメージとしての「幅」があります。
その大部分が形成されるのが、乳幼児期・児童期です。ヌーソロジーでいえば、Ψ10とΨ9です。
「ヌーソロジーと人間の性格を形成する4つの要素」にも書きましたが、正確に言うと、乳幼児期はΨ10が元止揚のΨ1〜8をなぞっていく過程です。
ここで、このブログで扱っているエニアグラムのタイプが形成されます。
口唇期=Ψ3〜4=タイプ4・5・9
肛門期=Ψ5〜6=タイプ3・7・8
男根期=Ψ7〜8=タイプ1・2・6
というように。
エニアグラムタイプも、親との相互作用、つまり、他者の視線によって蓄積されたイメージによって作られるものなので、「幅」のひとつと考えられます。
そして、それを過ぎると、今度はΨ9の児童期が始まります。
ここでは、認知発達や社会的規範の学習が行われます。Ψ10が外面を発達させる時期なら、Ψ9は内面を発達させる時期になります。
親のしつけや価値観、学校での経験から、更に様々な信念や自己イメージが作られ、それが蓄積されていきます。これも、他者との相互作用によって形成されるものですから、「幅」の産物です。
これが「3つのメガネ」の記事で書いた「赤色メガネ」の大もとです。
ですから、ヌーソロジー的に言えば、自我のパーソナリティを作っているのは「幅」なんです。
「人間の性格を形成する4つの要素」で書いた、遺伝と占星術的影響はまた別なんですが。
ヌーソロジーを勉強して、空間認識をしているのは、他ならぬこの自我ですから、このΨ10とΨ9で作られる、蓄積されたイメージとしての「幅」をまず取り除かなければ、いくらヌーソロジーを勉強しても、変換人にはなれないと思っています。
内容物を透明にしなければ、その枠組みを含めたその物自体を透明にすることはできませんよね。
変換人を目指すなら
今日のこの話は、以前「ヌーソロジー理解の両輪」という記事で書いたことでもあるのですが、これが、私がこのブログで最も言いたいことなんですよね。
ですから、ヌーソロジーを勉強されている方は、まず自分の親との関係、親や家庭環境、学校生活などから影響を受けている信念、価値観と向き合って意識化し、それと自分とは別物としてから、再度自分の生き方を選択し、その影響をコントロールしていくという作業をしなければならないと思っています。
そして、次に、エニアグラムタイプの意識化とコントロールです。
まず、この2つをしてからでないと、ヌーソロジーが体感できるレベルには到底たどり着けないと思います。
この2つをすれば、遺伝も占星術的影響もよい方向性で活かすことができるようになります(発達障害は私は遺伝に入ると思っていますが、ここでは発達障害の問題は除外します)。
「3つのメガネ」でいえば、「赤色メガネ」と「黄色メガネ」を外すことと同じです。
これは、ひとによっては、壮絶な苦痛を伴うこともありますし、一人では意識化が難しい場合もあります。難解と言われるヌーソロジーを学習するよりも、何倍も何百倍も辛いことかもしれません。
だから、通常は、無意識にその信念や価値観によって行動してしまっています。
でも、変換人を目指すなら、その意識化とコントロールが絶対に必要なんです。
これがもう1つの「奥行きから幅を取り除く」です。
3次元空間認識、科学的世界観の人間のままでいいなら、メガネをしたままで全然問題はないんです。
どう生きるかは、その人の自由だと思います。
でも、あくまでヌーソロジーを極めるということを目標としているヌーソロジストの方には、その努力をしていただきたいなと思っています。